2015年4月2日木曜日

教皇と共に祈る十字架の道行き2015年聖金曜日(4月3日)



十字架、わたしたちを守る神の愛の輝きの頂点
~ 同じく愛のための守護者となるように呼ばれたわたしたち ~

イタリア・ノヴァラ教区名誉司教レナト・コルティ司教編

導入

賛歌

キリストよ、あなたを礼拝し、賛美します。
あなたはその聖なる十字架によって世界をあがなってくださいました。
主よ、わたしたちをあわれんでください。

先: 父と子と聖霊のみ名によって
答: アーメン。

 2013319日は、教皇フランシスコが選出されたすぐ後でしたが、そこで教皇は聖ヨセフについての説教をし、ヨセフはマリアとイエスの「守護者」であったこと、そしてその守り方は裁量、謙遜、沈黙、いつもいること、完全な忠誠からなっていたことを語りました。

 今始めようとしている十字架の道行きには、神の愛、特に十字架に架けられたイエスによってわたしたちが守られているということ、そしてわたしたちとしては、全被造物やすべての人々、特にもっとも貧しい人たち、わたしたち自身、わたしたちの家族の守護者となり、希望の星を輝かせなければならないということが繰り返し語られます。

 この十字架の道行きを、イエスに深いところで寄り添って体験したいものです。福音に書かれていることを注意深く見つめると、あの試練の時にイエスの脳裏や心情を占めていたかもしれない感情や考えを、どこか自分のものとして受け止めることができるかもしれません。

 同時に、よきにつけ悪しきにつけ、わたしたちの日々の生活を特徴づけるいくつかの状況が問いただされるようにしましょう。そうして受難のときの私たちの主イエス・キリストに似た歩みをいくらかでも実現したいというわたしたちの願いを読み込むような共鳴となるでしょう。

祈りましょう。

教皇(自分たちで行う場合、司祭、司祭がいなければ先唱者): 
 父よ、あなたは御子の十字架上の死によって人類を救おうと望まれました。地上であなたの愛の神秘を知ったわたしたちが、日々の生活の中であなたが出会わせてくださるすべての人々と共に、ことばとおこないをもって、あなたの証し人となることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。
全: アーメン。


第一留
イエス、死刑の宣告を受ける
~親近感、裏切り、死刑判決~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読1
 「これは、あたたがたのために与えられるわたしのからだである。(・・・)この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。」[1]

朗読2
 ピラトは改めて、「それでは、ユダヤ人の王とお前たちが言っているあの者は、どうしてほしいのか」と言った。群衆はまた叫んだ。「十字架につけろ。」(・・・)ピラトは群衆を満足させようと思って、バラバを釈放した。そして、イエスを鞭打ってから、十字架につけるために引き渡した[2]

想像上のイエスの気持ちと考え
 今しがた弟子たちと過越しの食事を祝い終えた。わたしが切に願っていたことだ。[3] あなたのもとに帰る前に、受難の前に、最後の過越し祭を!と。期せずして動揺してしまった。一人の弟子の心に悪が忍び込んでわたしを裏切る考えを抱かせたのだ。[4] ゲッセマニの園で、わたしを捕えるために来た。愛を意味する仕草で、「先生、平和を!」と言いながらわたしにあいさつをした。そしてわたしに接吻をした。その瞬間の、なんという苦しさ![5]
 晩さんの間、御名においてわたしの弟子たちを守ってくださるように、そうしてわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるようにと、わたしはあなたに願った。[6]

わたしたちの呼応
先: イエスよ、
全: わたしたちは、最初の弟子たちよりも信仰においてずっともろいものです。あなたの愛がわたしたちをその愛へと育てようとするまさにその時に、あなたを裏切る危険にさらされているのです。
 祈り、目覚め、誠実さ、真理を必要としています。それがあれば信仰は育まれるでしょう。そうして堅固な信仰、歓声に満ちた信仰となるでしょう。

祈り:「聖体によって守られるわたしたち」
先: 主イエスよ、
全: おん体とおん血はわたしたちを永遠の命のために守ります。この奇跡がミサを司式する司祭と、天から降った生きたパンであるあなたを拝領しようと祭壇に近づくわたしたち信者すべてのために実現しますように。

 天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。み国が来ますように。み心が天に行われるとおり、地にも行われますように。わたしたちの日毎の糧を今日もお与えください。わたしたちの罪をおゆるしください、わたしたちも人をゆるします。わたしたちを誘惑に陥らせず、悪からお救い下さい。アーメン。


Stabat mater dolorosa    iuxta Crucem lacrimosa,     dum pendebat Filius.
(悲しみの母は立っていた 十字架の傍らに、涙にくれ 御子が架けられているその間)



第二留
イエス、十字架を抱きしめる
~罪びとの一人に数えられて~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読
 (兵士たちは)イエスを侮辱したあげく、紫の服を脱がせて元の服を着せた。そして、十字架につけるために外へ引き出した。[7]

想像上のイエスの気持ちと考え
 総督の兵士たちがわたしを取り囲んでいる。彼らにとっては、わたしはもはや人ではなく、物にすぎない。わたしを引っ張り出して楽しみ、わたしをからかおうとする。だからわたしに王の格好をさせるのだ。冠もすぐかぶせられる、しかし茨でできた冠だ。足の棒でわたしの頭をなぐる。わたしに唾を吐きかける。わたしを外へ引き出す。[8]

 わたしのなかで主のしもべについての預言者イザヤの劇的な言葉がこだまする。好ましい容姿もなく、軽蔑された人、痛みを負った人、屠り場に引かれる小羊のような人、命ある者の地から断たれた人、傷つき死にゆく者。あのしもべはわたしだ。人に対する神の愛の偉大さを示すために。[9]

わたしたちの呼応
先: そうですイエスよ、
全: あなたは罪人の一人に数えられました。キリスト教の初期、まさに公に語っていたがためにペトロやヨハネ、パウロやシラスは牢の敷居をまたぎました。同じことは何世紀にもわたって生じています。
先: こんにちでも、
全: 信者であるということで、あるいは正義と平和のために献身しているからということだけで刑務所に入れられたり、死刑に処せられたり、その場で虐殺されたりしている人々が男女を問わずいます。あなたの十字架を恥じない人々です。わたしたちにとっては倣うべき、尊敬に値する模範です。

先: 殉教者シャーバズ・バッティ氏の言葉で祈りましょう。201132日の朝、少数派の大臣であったパキスタン人シャーバズ・バッティ氏が、武装グループの手で殺害されました。その霊的遺書には、こう書いてあります。

 「今、ある聖金曜日のことを思い出しています。わたしがほんの13歳だった頃のことです。わたしたちをあがない、世を救うためになされたイエスの犠牲についての説教を聞きました。そこでわたしは、自分の周りにいる兄弟姉妹に愛を示し、特にこのイスラム主義の国に生きていて貧しく、いろいろ不足して困っており、迫害されているキリスト教徒への奉仕に身を置きながら、あの主の愛に応えなければならない、と考えました。
 わたしの命も、わたしの性格も、わたしの行動もわたしを通して語り、わたしがイエス・キリストに従おうとしていると告げてほしいと思います。この願いはわたしの中で本当に強く、もしイエスがわたしのいのちの犠牲を受け入れてくださろうというなら、わたしはほんとうにかわいがられていると感じるほどです。」

 この遺書に照らされて祈りましょう。主イエスよ、

全: 迫害されている人々のもっとも近くにいて、彼らを支えてください。世界中に信教の自由という基本的人権が広まりますように。天使のように、来るべきみ国の素晴らしいしるしを捧げているすべてに人々に感謝します。

天におられるわたしたちの父よ、・・・

Cuius animam gementem,     contristatam et dolentem      pertransivit gladius.
(呻き、悲しみ、嘆くその魂を 剣が貫いた)



第三留イエス、十字架の重みに倒れる
~「見よ、神の小羊を」~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読
 彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。(・・・)彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。[10]

想像上のイエスの気持ちと考え
 カルワリオへの最初の歩みに踏み出すにあたり、心が騒ぐ。もはや多くの血が流れ出た。運ばねばならない木の重みに耐えるのが困難になっている。こうして、地に倒れる。
 誰かがわたしを起き上がらせる。わたしの周りには、多くの人がいるのが見える。わたしを愛する人もいるだろう。興味本位の人もいるだろう。わたしの公生活のはじめに洗礼者ヨハネが言っていた。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」[11]。今こそ、あの言葉の真理が示される。

わたしたちの呼応
先: イエスよ、
全: この日はなんらかの意味で自画自賛するファリサイ人よりも、頭を上げることすらはばかる徴税人と似たようにする日です。ですから信頼を込めて、神の小羊であるあなたに、思い、ことば、行い、怠りによるわたしたちの罪のゆるしを願います。
 あなたの十字架にかかる重圧を黙想するにあたり、わたしたち自身に十字架のしるしを切ることを恥じないようにします。「十字架の印は、貧しい人や弱い人にとって無償で効果的な助けであり、なんの力も必要ありません。まさに、神の恵みなのです」。

祈り: 神の子はわたしたち人間の生き方を分かち合った
先: 聖なる父よ、
全: わたしたちはあなたを賛美します。あなたは預言者たちを通して、何度もわたしたちを救いの希望のうちに育ててくださったからです。あなたを賛美します。あなたは御ひとり子をわたしたちに送ってくださるほど世を愛してくださったからです。あなたの救い主としての計画を果たすために、御子はわたしたちと同様に、罪を除いてあらゆる人間の状況を体験し、貧しい人々に救いを、抑圧されている人々に解放を、苦しむ人々に喜びを告げ知らせてくださったからです。
   父よ、感謝します。

天におられるわたしたちの父よ、・・・

O quam tristis et afflicta     fuit illa benedicta       Mater Unigeniti!
(ああ、なんと悲しく、打ちのめされたことか あれほどまでに祝福された 神のひとり子の母が


第四留
母との出会い
~剣が魂を貫く~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読
 シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。(・・・)母はこれらのことをすべて心に納めていた。[12]

想像上のイエスの気持ちと考え
 わたしの母が人びとの間にいる。わたしの心は強く脈打つ。目を開けてもよく見えない。血がわたしの顔を覆っている。
 
 生まれて40日が過ぎたとき、モーセの律法に定められたとおり、両親は奉納物を捧げるためにわたしを神殿に連れて行った。一人の預言者がわたしの両親に語り掛けた。シメオンという人だった。彼はわたしを腕に抱いた。わたしが「反対を受けるしるし」になると言い、わたしの母に「あなた自身も剣で心を刺し貫かれます」と言った。この瞬間どちらにとっても苦しい現実となった言葉だった。今日、あの日の捧げものが完全なものになる。[13]

マリアの呼応
 なんということ! わたしが見ているものは何でしょう? 神の息のかかった血筋の我が子。その犯罪者たちの手がお前を引きずっていて、お前はそれを耐えている! 彼らはお前を縛るために連れて行き、お前自身の意志でお前はそこに向かって行く。本当はお前が縛られた系統の縄目をほどく者なのに。わたしは死ぬほど苦しい! 一言、一言言っておくれ、お前は父である神のみ言葉なのだから。母となったこのはしための前で何も言わずに通り過ぎないでおくれ。[14]

 主イエスよ、エルサレムの道であなたの母と共に向き合う劇的な場面は、現代の家族にみられる数多くの悲劇のことを考えさせます。母親も、父親も、子どもたちも、祖父母も、皆にあることです。ほかの人たちを批判するのは簡単だけれど、一番大切なのは相手の立場に立ち、出来る限り彼らを助けることです。実行に移しましょう。

祈り: 「この人の言うようにしなさい」

先: 聖母マリア、
全: イエスの母、ヨセフの妻、家族にささげられた司教団によるシノドスに臨席してください。教皇、司教団、これに直接関与している人々のために取り次いでください。彼らが聖霊に対して素直であり、正しく識別することができるようにしてください。「常に詩篇が言っている「慈しみとまことは出会う」[15]ということばがそこにありますように。マリアよ、カナであなたはしもべたちに「この人がいう通りにしなさい」[16]と言いました。イエスの教えによって気づきを与えられ導かれた家族の美しさの証しを立てるようにと呼ばれている、キリスト者の夫婦やキリスト者の親を助けに来てください。

天におられるわたしたちの父よ、・・・

Quæ mærebat et dolebat    pia Mater, dum videbat    Nati pœnas incliti.
(そして歎き、悲しんでいた 慈悲深い御母は、その子が 罰[苦しみ]を受けるのを目にしながら)


第五留
キレネの人、イエスが十字架を運ぶのを手伝う
~農地からの帰り道~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読
 人々はイエスを引いて行く途中、田舎から出て来たシモンというキレネ人を捕まえて、十字架を背負わせ、イエスの後ろから運ばせた。[17]

想像上のイエスの気持ちと考え
 わたしの周りで叫ぶ声が聞こえる。強引にそのあたりを、おそらく偶然通りかかった一人の農民を捕まえている。ほとんど説明もなく、わたしの抱えているものを運ぶように命令している。少し楽になった。わたしの後ろから行くようにと命じている。わたしの処刑の場まで共に行こう。

 一度ならず、神の国について話しながらわたしはこう語った。「自分の十字架を背負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子ではありえない」。しかしながら、今はこの人がわたしの十字架までも運んでいる。おそらくわたしが誰かすら知らずに。それでも私を助け、私についてきている。

シモンをたたえたわたしたちの呼応
先: シモン、
全: あなたは幸いです。その生涯の中で、わたしたちの王の後ろで十字架を運んだのですから。王の記章を運ぶ者はこれを誇りに思うものです。けれど王たちもその記章も過ぎ去るものです。行列に入ってわたしたちにいのちを与えてくださったイエスの十字架を持ち上げ運んだその手は幸いです。[18]

先: 主よ、
全: わたしたちの中にもあなたとの出会いを期せずして味わった人もいるかもしれません。けれどそれは後でより深みのあるものとなりました。
 わたしたちの間に他の人々の十字架を運ぶキレネの人がいなくならないことは、あなたの素晴らしい賜物だと思います。それを忍耐強く続けています。そういう人がいることは希望の源です。彼らはパウロの「互いに重荷を担い合いなさい」という招きを実践しています。そうして兄弟姉妹の面倒を見ているのです。[19]

祈り: キレネの人の助力を必要としていない人はいるでしょうか?
先: 主イエスよ、
全: あなたは「受けるよりは与える方が幸いである」[20]と仰せになりました。わたしたちも「キレネの人」の務めを果たすことができるようにわたしたちを整えてください。わたしたちの生き方を見る人が、美しいもの、公正なもの、真理に満ちたものを培うのを見て元気になりますように。もろい人はわたしたちのことをへりくだった人として見ますように。多くの局面で、わたしたちももろいからです。わたしたちから無償のありがたさのしるしを受け取る人が、わたしたち自身に「ありがとう」と言う理由が何千とあることを感じ取りますように。走ることができない人が、わたしたちがその人を好ましく思っていることで、おだやかな気持ちでいられますように。わたしたちはよりゆっくり進む心構えができています。わたしたちはその人を後ろに残したくありません。

天におられるわたしたちの父よ、

Quis est homo qui non fleret,   Matrem Christi si videret   in tanto supplicio?
(涙をこぼさないものがあるだろうか キリストの母が、これほどまでの 責め苦の中にあるのを見て)


第六留
ヴェロニカ、イエスのみ顔を拭う 
~女性使徒~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読
 イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。[21]

想像上のイエスの気持ちと考え
 大群衆の中に、多くの女性たちがいる。その繊細な気持ちに促されて、そのなかの一人がわたしに近づき顔を拭った。この行為は他の様々な出会いをわたしに思い出させる。そのうちのひとつは、ちょうど一週間前のことだ。友だちづきあいで、ベタニアにあるマルタとマリア、ラザロの家に夕食をいただきに上がった。マリアは純粋なナルドの香油をわたしの足に塗ってくれた。わたしがそれはわたしの埋葬まで保たれると言うと、彼女は驚いた。[22]

 シカルの井戸に座っていた時のことも思い出す。わたしは疲れ、喉が渇いていた。その時一人のサマリアの女性がつぼを持ってやって来る。わたしは水を求める。わたしは彼女に永遠の命にまで跳ね上がる水について語る。彼女は心を開くためにその賜物を待っていたかのようだ。自分についてすべて語りたがっていた。彼女が自分の良心を深めながら感動しているのが分かった。彼女は自分の村に帰っていき、「あの方がメシアでしょうか?」と告げた。[23]

わたしたちの呼応
先: 主イエスよ、
全: この夕刻、わたしたちの間に、女性がいますが、これは象徴的です。福音書の中で、女性たちには特筆するに値する場があります。彼女たちはあなたと使徒たちの手伝いをしていました。そのなかにはあなたの受難に居合わせた人たちもいます。そしてあなたの復活を告げる最初の人たちとなったのでした。
 女性は、あなたへの愛情を持って信仰を生きるようにとわたしたちを導きます。あらゆる聖人たちがこれをわたしたちに教えています。わたしたちはその足跡を追いたい。

祈り: 霊的母性の賜物
先: 主イエスよ、
全: 女性たちが世における信仰宣言とキリスト教共同体の歩みの大半を支えています。彼女たちがあなたとの出会いから湧き出るそのしあわせの証しとしてあり続け、その生活の奥義を成すことができるようにしてください。その心においては初めの者である最後尾の人々との母性の輝かしいしるしを守ってください。

天におられるわたしたちの父よ、・・・


Quis non posset contristari,   Christi Matrem contemplari   dolentem cum Filio?
(悲しみを抱かないものがあるだろうか キリストの母が御子とともに 歎いているのを見つめて)


第七留
イエス、再び倒れる
~わたしから離れないでください~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読1
 それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。そして、彼らに言われた。「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」[24]

朗読2
 すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。[25]

想像上のイエスの気持ちと考え
 体の疲れだけではない。わたしに起こることよりも何かもっと深いことである。昨日の午後かなりの時間、祈りのうちに御父の前にひれ伏していた。わたしの汗は血の滴のようになった。すでに苦悶していたのだ。わたしは死に近づくすべての人の、極限で困難な体験をしている。父よ、その時に天から天使を送ってくださり、感謝します。

わたしたちの呼応
先: 主イエスよ、
全: どれほど多くの魂が孤独や放置、無関心、病気、大切な人の死による傷のせいで悲しみの淵にあることでしょう!

 暴力のひどさに苦しむ人々の痛みや偽りの言葉への憎しみは計り知れず、石の心に嘆かされ絶望へと導かれる人々がたくさんいます。

 人の心、わたしたち一人ひとりの心は、それとは違うものを希望しています。愛による介護です。イエスよ、あなたはこのことを善意の人すべてに教えてくれます。わたしがあなたがたを愛したようにあなたがたも互いに愛し合いなさい、と。[26]

祈り: わたしの心が守り、慰めるように。
先: わたしの心が開かれているように。
全: わたしの心が神の心のように大きなものであるように。わたしの心が希望を運び、他の人々のために尽くし、耳を傾け、傷口に香油を塗り、闇にある人を照らす心構えを持っているように。今日も、明日も、いつでもわたしの心が人を守り、慰めるように。

天におられるわたしたちの父よ、・・・

 Pro peccatis suæ gentis   vidit Iesum in tormentis,   et flagellis subditum.
(その民の罪のために イエスが拷問を受け 鞭打たれるのを御母は見た


第八留
イエス、エルサレムの婦人たちに会う
~あなたたちは地の塩である…あなたたちは世の光である~[27]

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読
 民衆と嘆き悲しむ婦人たちが大きな群れを成して、イエスに従った。イエスは婦人たちの方を振り向いて言われた。「エルサレムの娘たち、わたしのために泣くな。むしろ、自分と自分の子供たちのために泣け」。[28]

想像上のイエスの気持ちと考え
 つい数日前、エルサレムに到着した。付き添っていた弟子たちが喜んで祭りをしながら迎えてくれた。しかもわたしのことを「主の名において来られた方に賛美」と宣言していた[29]。質素な中でも、その瞬間は荘厳だった。しかしながら、これはファリサイ派の人々にはいただけなかった。せっかくの祭りも、わたしが町を見たときに涙するのを抑えることはできなかった[30]。今や私は憔悴してゴルゴタへ向かい、わたしのために泣き胸を打つ女性たちの声を聞いている。

わたしたちの呼応
先: 主イエスよ、
全: 今日も、わたしたちの住む町を見て、あなたが涙するきっかけがあります。おそらくわたしたちも目が見えず、あなたが指し示してくださる平和の道を理解せずにいるのでしょう。

 けれど今、あなたが山上の垂訓で語ったあなたの呼びかけを感じます。「心の清い人々は幸いである、その人たちは神を見る。平和のために働く人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」と。また弟子たちにこうもおっしゃいました。「あなたがたは地の塩である…あなたがたは世の光である。…あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」[31]

祈り: 天のエルサレムに照らして
先: わたしたちの主である神よ、
全: あなたはわたしたちを天のエルサレムへと呼んでくださいました。それは人々と神の幕屋です。あなたは、そこでわたしたちの目から涙をぬぐい、もはや死も、喪に服すことも、嘆きも、痛みもないと約束してくださいました。あなたはわたしたちの神になり、わたしたちはあなたの民となる、と[32]。わたしたちのなかに、涙のうちに種を蒔いた後には刈り取りの喜びに満ちた時が訪れる[33]、のだという希望を保ってください。

天におられるわたしたちの父よ、・・・

  Eia, Mater, fons amoris    me sentire vim doloris    fac, ut tecum lugeam.
さあ、御母よ、愛の泉よ 私にもあなたの強い悲しみを感じさせ あなたと共に悲しませてください)


第九留
イエス、みたび倒れる
~イエスの《旅》~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読
 「わたしは父のもとから出て、世に来たが、今、世を去って、父のもとに行く。」[34]

想像上のイエスの気持ちと考え
 わたしの地上での歩みには終わりが来た。生まれたときには、母はわたしを飼い葉おけに寝かせた。人生のほとんどをナザレで過ごした。わたしは選ばれた民の歴史の一部になった。

 御父から派遣された歩く使者として、その愛の広さを受け入れる人に、わたしはこれを宣べ伝えた。その愛の広がりは、あらゆる世代にわたって忠実であり続け、その愛の高さは死までをも凌駕する希望であり[35]、その愛の深さによって、わたしは正しい人々ではなく罪びとのために送られたのだった。[36]

 多くの人々がわたしのことばに耳を傾け、わたしに従い、わたしの弟子となった。わたしのことを理解しない人もいた。わたしを拒んだ人もいて、ついにわたしに死刑宣告をした。しかし、この今、いつどんなときよりも、人々に対する神の愛を示す呼びかけを感じるのだ。[37]

わたしたちの呼応
先: 主イエスよ、
全: あなたの愛と御父の愛を前に、わたしたちは自分が世に影響されて、あなたの受難と死は「愚かであり、スキャンダルである」と考えていないか自問します。そのように見えながらもこれは「神の力、神の知恵」なのです[38]。あなたの愛が炎の神秘であるという時に、わたしたちは生ぬるいキリスト者になっていないでしょうか?

 神がわたしたちのもとに来る前には、神とは誰であったかすら知らなかったことに気づかないのでしょうか? 独り子であるあなたが、わたしたちをその似姿に造り、わたしたちの眼差しを彼に向けて上げることを許し、わたしたちに天の国を約束してくださった神のもとに至ったとき、どうしてわたしたちをまず愛してくださった〈あのお方〉を愛さずにいられるでしょうか?[39]

祈り: 「アッバ、父よ」
先: わたしたちの主である神よ、
全: あなたのことを「わたしたちの父よ」と大胆に呼びます。あなたの子どもであると感じることは、永遠に感謝の念に満ちていられる素晴らしい賜物です。父よ、わたしたちは自分が宇宙の中にある塵のかけらではないと知っています。あなたはわたしたちに偉大な尊厳をくださいました。わたしたちを自由であるようにと呼んでくださったのです。わたしたちをあらゆるかたちの奴隷状態から解放してください。わたしたちがあなたから離れて自分を見失うことのないようにしてください。父よ、わたしたち一人ひとりの面倒を見てください。地の面のすべての人々を守ってください。

天におられるわたしたちの父よ、

 Fac ut ardeat cor meum   in amando Christum Deum,  ut sibi complaceam.
(私の心を燃やしてください 神なるキリストへの愛で、 その御心にかなうように)


第十留
イエス、着物を脱がされる
~衣~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読
 わたしの着物を分け、衣を取ろうとしてくじを引く。[40]

想像上のイエスの気持ちと考え
 わたしは沈黙したままだ。表面的には俗な行為で辱められていると感じる。何時間も前にわたしの服は取られた。ここにいる、わたしの母のことを思う。わたしの辱めは母のものでもある。この仕方でもその魂を剣が貫いた。わたしから奪い取られた衣は、母からもらったものだった。それはわたしに対する母の愛のしるしだったのだ。[41]

わたしたちの呼応
先: 主よ、
全: あなたの衣は、恵みの時を黙想するようにと導くと同時に、人間の尊厳が蹂躙されるあらゆる機会のことをも黙想するようにと導きます。

 恵みというのは洗礼の恵みのことです。キリスト者になったばかりの子どもにこういわれます。「あなたは新しい人となり、キリストを着る者となりました。この白衣はあなたのキリスト者としての尊厳のしるしです。みことばとあなたを取り囲む人々の模範に支えられて、永遠の命に至るまで汚れないものとして保ち続けなさい。」[42] これは人間存在のもっとも深い真理です。

 同時に、あなたが守っている全被造物に対する愛は、わたしたちをおそろしい状況について考えるようにも導きます。人身売買や、少年兵士、奴隷のような仕事、無垢を台無しにされた幼児や思春期の子供たち、容赦なく汚され、信頼関係や大事な部分が傷つけられた子供たちのことです。

 こうした侮辱に苦しむ人々に謙虚にゆるしを乞い、最終的には他の人々の人生における天空を陰らせる人々の良心が目覚めることを求めて祈るようにとあなたはわたしたちを仕向けます。主イエスよ、あなたを前に、「善をもって悪にうち勝つ」[43]というわたしたちの決意を新たにします。

祈り: 二つの道
 いかに幸いなことか 神に逆らう者の計らいに従って歩まず 罪ある者の道にとどまらず 傲慢な者と共に座らず 主の教えを愛し その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び 葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。[44]

天におられるわたしたちの父よ、

Sancta Mater, istud agas,    Crucifixi fige plagas      cordi meo valide.
(聖なる母よ、どうかお願いします 十字架に架けられた御子の傷を 私の心に深く刻みつけてください)


第十一留
イエス、十字架に釘づけにされる
~神の愛についての最高の教壇~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読
 そこで、ピラトは、十字架につけるために、イエスを彼らに引き渡した。・・・ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。[45]

想像上のイエスの気持ちと考え
 わたしの足にも手にも穴が開けられている。両腕も引き伸ばされている。釘がわたしの肉を貫き痛みが走る。体は動けなくなっているが、心は自由だ。そしてその自由と共にわたしは受難へと進む。[46] 自由、なぜなら愛に満ちているからだ。すべての人を含もうとする愛に満ちているからだ。

 わたしを十字架に架けている人たちを見る。これを命じた人のことを考える。「父よ、彼らをおゆるしください。自分が何をしているのかわからないのです」[47]。わたしと共に十字架での死刑を宣告された人が二人いる。そのうちの一人がわたしに王国にいるときには自分のことをと思い出してほしいと求めている。わかった、と私は言う。「今日、あなたはわたしと共に楽園にいる」。[48]

わたしたちの呼応
先: 主イエスよ、
全: わたしたちはあなたが十字架に架けられているのを見ます。そして緊急な問いがわたしたちに次から次へと湧いてきます。今日、数多くの国でまだ有効になっている死刑がいつ廃止されるのだろうか? 無実の人々へのあらゆる拷問や残虐な死がいつなくなるのだろうか? あなたの福音は人にとって、全人類にとって一番の守りです。

祈り: 「わたしたちにあわれみを」
先: 主イエスよ、
全: あなたはわたしたちに、愛のためにいのちを捧げることを教えるために、十字架を受け入れました。死の時に、悔い改める悪人に耳を傾けました。無実の救い主よ、あなたは悪人の一人に数えられ、罪びとたちに対する裁判に身をゆだねました[49]。わたしたちを憐れんでください。

天におられるわたしたちの父よ、

   Tui Nati vulnerati,       tam dignati pro me pati     pœnas mecum divide.
(あなたの子が傷つけられ ありがたくも私のために苦しんでくださった その罰[苦しみ]を私に分けてください)


第十二留
イエス、十字架上で死ぬ
~主よ、わたしたちにはあなたが必要です(福者パウロ六世)~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

十字架上でのイエスのことば
 イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」[50]。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」[51] この後、イエスは、…「渇く」と言われた[52]。それから、「成し遂げられた」と言い[53]、また、最後に、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」[54]と言われた。

わたしたちの呼応
先: イエスよ、
全: あなたは十字架上で祈りました。そこであなたの召し出しと使命の頂点の時を生きました。

 あなたは母と弟子のヨハネに言葉を向けました。彼らを通して、わたしたちにもあなたは話していました。わたしたちをあなたの母にゆだねました。御母があなたにしていたようにわたしたちの面倒を見るためにと、彼女をわたしたちの生活に迎え入れるよう願いました。

 何時間にもわたる苦しみの間に、苦しみを表現するけれど、同時に正しい人の希望をも表現する詩篇22編の言葉で叫び声を神に向けたことは、とても驚くべきことです。

 福音記者ルカは、あなたが死ぬほんの少し前に、「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と言ったと記録しています。御父があなたに与える答えは、あなたの復活になるでしょう[55]

祈り: 「キリストはわたしたちすべてのために」(聖アンブロシウス)
先: ・主よ、
全: わたしたちが自分が誰であるか、またどこに向かっているのかを知るために、わたしたちにはあなたが必要です。
・人びとの間での兄弟愛の本当の意味や、正義の基本、愛徳の宝、平和の最高の善を再度見いだすために、わたしたちにはあなたが必要です。
・わたしたちの痛みに対して大いなる忍耐を持っておられる方、苦しみの意味を知るために、わたしたちにはあなたが必要です。
・死に打ち勝った方、絶望と空しさから自由にしてもらうために、わたしたちにはあなたが必要です。
・主よ、ほんものの愛を学び、あなたの愛徳の喜びと力をもって、幾世代にもわたって愛され、希望され、賛美されるあなたとの最後の出会いの時までわたしたちの険しい道を歩み続けるために、わたしたちにはあなたが必要です。[56]

天におられるわたしたちの父よ、

Vidit suum dulcem Natum    moriendo desolatum,     dum emisit spiritum.
(愛しい御子が 打ち捨てられて孤独に死に 魂へ帰っていくのを見た)


第十三留
イエス、十字架から降ろされる
~教会にとっての堂々とした道ゆき~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読
 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、・・・「本当に、この人は神の子だった」と言った。またそこでは、大勢の婦人たちが遠くから見守っていた。・・・その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフの母マリア、ゼベダイの子らの母がいた[57]

 イエスはその時、この世から御父のもとへ過越していた。その受難(パッション)は、歴史の中で人に対する神の情熱(パッション)を見いだす恵みをわたしたちにもたらす。聖人たちは弟子や使徒になってこれに応えてきた人たちである。わたしたちも同じことへと呼ばれている。

わたしたちの呼応
先: 受肉したみことばであるイエス、
全: わたしたちは慈しみに満ちた教会になるように呼ばれています。
先: 自分から選んで貧しくなられた方、
全: 教会は貧しくなり、貧しい人々の友となるように呼ばれています。
先: あなたの御顔を見つめながら、
全: わたしたちの顔はあなたの顔と異なっていてはならないでしょう。もしへりくだりを示し、この神のおとなしさから御顔を示すなら、わたしたちの弱さは力と勝利になるでしょう。[58]

祈り:
先: 父よ、
全: 人類家族すべてに、わたしたちの王であり救い主であるあなたの独り子を通して順守された正義と平和の支配を広げてください。そうして人々が優しく本物の平和を得、貧しい人々が正義を味わい、苦しむ人々が慰められ、地上のあらゆる部族が、聖霊との一致のうちに幾世代にもわたってあなたと共に生き支配しておられるわたしたちの神である主のうちに祝福されますように。[59]

天におられるわたしたちの父よ、

 Fac me tecum pie flere,   Crucifixo condolere,      donec ego vixero.
(あなたと共にまことに涙を流し 十字架の苦しみを感じさせてください、 私の生のある限り)


第十四留
イエス、墓に納められる
~いつまでも守られて~

先: キリストよ、あなたは尊い十字架によって世界を救ってくださいました。
答: わたしたちは、あなたを礼拝し、賛美します。

朗読
 その後で、アリマタヤ出身のヨセフが・・・ピラトのところへ行って、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。そこでピラトは、渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取った[60]。ニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。

想像上のイエスの友人たちの気持ち
 十字架刑に処せられた人のからだは弔いにすら値しないと考えられていました。けれど、重要な地位にある二人の人、アリマタヤのヨセフとニコデモが、イエスのからだを引き取りました。
 アリマタヤのヨセフはわたしたちに言います。「わたしにとっても、あなたたちにとっても、イエスの弟子になったことはなんと幸いなことだろう![61] 今、代わりに、わたしの内に強い決断さがある。わたしはイエスのからだを引き取れるようにとピラトの前にまで顔を出した[62]。決断よりも、愛と喜びがわたしを動かした。岩に掘られた、新しい墓を差し出すことができてわたしは嬉しい[63]。あなたたちに言う。わたしたちの救い主を愛しなさい。」
 ニコデモは加えてこう言うでしょう。「わたしのイエスとの最初の出会いは夜の時間だった。イエスはわたしに新しく生まれるように、高みから生まれるようにと招いた[64]。本当に少しずつわたしはその言葉を理解していった。今、わたしはその体を拝むためにいる。だから、わたしは没薬とアロエの混ざった物を買った[65]。しかし、本当は、イエスはわたしのためにもっと多くのことを行ってくれた。わたしの人生を香りで満たしてくれたのだ」。

マリアによるわたしたちの心への語り掛け
 「ヨハネはわたしと共に残りました。十字架のもとで、わたしの信仰は厳しい試練に苦しみました。ベツレヘムや、その後ナザレでもそうだったように、今このすべてのことを沈黙のうちに思いめぐらします[66]。神に信頼します。母としての希望は失いませんでした。あなたたちも信頼しなさい。あなたたち皆のためにわたしは強い信仰の恵みを願いました。暗闇の日々を通っている人々に、慰めがありますように」。

祈り
先: アヴェマリア、恵みに満ちた方、主はあなたと共におられます。あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
全: 神の母、聖マリア、わたしたち罪びとのために、今も死を迎えるときもお祈りください。アーメン。

天におられるわたしたちの父よ、

Quando corpus morietur,  fac ut animæ donetur  Paradisi gloria.     Amen.
(肉体が滅びる時には どうか魂に、栄光の天国を 与えてください。アーメン)



教皇による説教


最後に、教皇は使徒的祝福を授ける。

教皇: Dominus vobiscum.
全員: Et cum spiritu tuo.

教皇: Sit nomen Domini benedictum.
全員: Ex hoc nunc et usque in sæculum.

教皇: Adiutorium nostrum in nomine Domini.
全員: Qui fecit cælum et terram.

教皇: Benedicat vos omnipotens Deus, Pater et Filius et Spiritus Sanctus.
全員: Amen.


[1] ルカ221920節。
[2] マルコ151213節、15節。
[3] ルカ2215節参照。
[4] ヨハネ1327節参照。
[5] マタイ2649節参照。
[6] ヨハネ1711節参照。
[7] マルコ1520節。
[8] マルコ151620節。
[9] イザヤ5328節参照。
[10] イザヤ535節。
[11] ヨハネ129節。
[12] ルカ23435節、51節。
[13] ルカ22224節、28節、3335節参照。
[14] ナジアンゾスのグレゴリオ、キリストの受難、445460
[15] 詩篇8511節。
[16] ヨハネ25節。
[17] ルカ2326節。
[18] シリア人エフレム、十字架死の賛歌、IX,1
[19] ガラテヤ62節。
[20] 使徒2035節。
[21] ルカ813節。
[22] ヨハネ1217節参照。
[23] ヨハネ429節。
[24] マタイ263639節。
[25] ルカ224344節。
[26] ヨハネ1217節参照。
[27] マタイ51314節。
[28] ルカ232728節。
[29] ルカ1938節。
[30] ルカ1941節参照。
[31] マタイ589131416節。
[32] 黙示録214節、イザヤ2569節参照。
[33] 詩篇1265節。
[34] ヨハネ1628節。
[35] エフェソ31819節、コロサイ127節、Iティモテ11節、ヘブライ61820節参照。
[36] マルコ217節参照。
[37] ヨハネ131節参照。
[38] Iコリント12324節参照。
[39] ディオグネートスへの手紙、VIII, 1; X, 2-3
[40] 詩篇2219節。
[41] マタイ2735節参照。
[42] 幼児洗礼の儀式、白衣の授与、ガラテヤ327節参照。
[43] ローマ1221節参照。
[44] 詩篇113節。
[45] ヨハネ191619節。
[46] ローマミサ典礼書、第二奉献文。
[47] ルカ2334節。
[48] ルカ2343節。
[49] アンブロシウス典礼、聖金曜日の朝の祈り、わたしたちの主イエス・キリストへの賛歌
[50] マタイ2746節、マルコ1534節。
[51] ヨハネ192627節。
[52] ヨハネ1928節。
[53] ヨハネ1930節。
[54] ルカ2346節。
[55] 同上。
[56] G.B.Montini、司牧書簡Omnia nobis est Christus1955年、結尾の祈り。
[57] マタイ275456節。
[58] カルロ・マリア・マルティーニ、ミラン教区第47回シノドス発表の書簡、199521日、教会への言葉、町への言葉、ボローニャ2002年、986-989
[59] アンブロシウス典礼、時課四巻、年間第二週、木曜日夕の祈り。
[60] マタイ2757節参照。
[61] マタイ2757節参照。
[62] マタイ2758節参照。
[63] マタイ2760節参照。
[64] ヨハネ3215節参照。
[65] ヨハネ1939節参照。
[66] ルカ21951節。

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