2013年9月18日水曜日

9月16日(月)、朝ミサ説教:政治をする人はその民を愛さなければならない。


 9月16日(月)聖コルネリオ教皇(記)
          聖チプリアノ司教殉教者(記)
          一テモ2・1-8
          ルカ7・1-10

 政治を司る人にとって、謙遜と愛は欠かせない特徴です。一方市民は、特にもしそれがキリスト者であるならば、政治に向かんしであってはなりません。これはパパ・フランシスコが月曜日の聖マルタの家の朝ミサの説教中に語ったことであり、そこで権力者たちのために祈るようにとも招いた。

 謙遜と信頼を持ってその僕の癒しを求める百人隊長に関する福音と、政治を司る人々のために祈るようにと招くティモテへの聖パウロの手紙が「権威者の奉仕について回想する」ために教皇に議論を突き付けることになった。フランシスコによれば、政治を司る人は「その民を愛さなければなりません」。なぜなら「愛することを知らない政治家は治世を果たすことができないからです。一番よくて教示することはできるでしょう、少し秩序を与えるというか、けれど治世にはなりません」。教皇はダビデについて引用した。「どれほど彼は民を愛していたことか」。罪の後でも、主に願ったのは民を罰するのではなく、自分を罰することでした。「政治家に必要な二つの徳」は民を愛することと、謙遜です。

 「愛なくして、また謙虚さなくして政治を司ることはできません。そして公的奉仕の地位に立たなければならないそれぞれの男性、女性は、この二つの問いをしなければならないのです。「わたしはより善く奉仕するためにわたしの民を愛しているだろうか?わたしは謙虚だろうか?そして他の人たちが言っていること、より良い道を選ぶために異なる種々の意見に耳を傾けているだろうか?」もしこの二つの問いをしないなら、皆さんの政府は善い政府にはなりません。その民を愛する政治家の男性、あるいは女性というのは、謙遜な男性、謙遜な女性です」。

 一方、聖パウロは政治家たちに「落ち着いて穏やかな人生を締めくくることができるために、権力にある人々すべてのために」祈りを神の高みまでささげるようにと勧めます。「市民は、政治に無関心であってはならないのです」とパパは強調した。

 「わたしたちの誰ひとりとして、『わたしはこのこととは無関係です。そうしたことは政治を司る人たちの問題です。いや、いや、わたしはその政治における責任ある個人で、それをより善いものにして、政治家たちが善い政治を行うようにし、できる限りの仕方で政治に関わることでこれをよりよくしていかなければならないのです』。教会の社会教説はこう言っています。政治は愛徳の最も高尚な形態のひとつです。なぜなら共通善に仕えるからです。わたしは手を洗って責任逃れをすることはできません。でしょ?わたしたちは全員何かを差し出さなければならないのです!」

 また教皇は見解を述べてこう言った。ただ政府の悪口を言うだけに留まる習慣があります。そしてそこで批判するのは「うまくいっていないこと」についての日なんです。「テレビのニュースを見て叩いて叩いて、雑誌を読んで同じように叩いて・・・。いつも悪いことばかりで、いつも反対意見です!おそらく、「政府は、そうです、罪深いものです。ダビデがそうでした。けれどわたしは自分なりの意見で、自分なりの言葉で、また自分自身の公正を含め協力しなければなりません」。なぜなら誰もが「共通善に参与しなければならない」からです!。もし「『善いカトリック信者は政治に混じらない』ということを何度も聞いてきたのなら、それは真理ではありません。それは善い道ではないのです」と教皇は強調した。

 「『善いカトリック信者は政治に干渉するものではない』というのは本当のことではありません。それは善い道ではありません。善いカトリック信者は政治の内部に入り込み、自分なりの最良のものをそこで提供して、政府が政治を行うことができるようにします。そして「政治家たちに提供できる最良のものとは何でしょうか?祈りです!これはパウロが言っていることです。『すべての人々のため、王のため、権力を行使する立場にある人々のための祈り』です。『でも、神父さん、あの人はひどい人です。地獄に行くべきです』と思う人がいれば、『その人のために祈りなさい。あの女の人のために祈りなさい。そうして政治をよく司ることができるように、そうしてその民を愛するように、そうしてその民に仕えるように、そうして謙遜になるように』。政治家たちのために祈らないキリスト者は、善いキリスト者とは言えません。『でも神父さん、相性の合わない人のためにどうすればわたし
は祈ることができるでしょう?』・・・『回心するように祈りなさい』。祈ること。そしてこれはわたしが言っているのではなく、聖パウロが言っていることです。神の言葉です』。

 ですから、「わたしたちにできる限りのことを差し出しましょう。アイデア、提案、よりよいもの、けれど何よりも最良のものは祈りです。政治家たちのために祈りましょう。わたしたちを聖字で司ってくださるように。彼らがわたしたちの国、愛する国、また世界を前進させ、平和と共通善が存在するように」
 (RC-RV)

0 件のコメント:

コメントを投稿